幸せになるヒミツ~最善が起きていると信じる。原因論から目的論へのコペルニクス的転回

幸せになる力のヒミツに、「目的論」を採用できるかどうかがあります。

「目的論」とは、↓

「世界のすべての事物の生成変化が、大いなる目的を目ざして運行している、という考え方をいう。」

(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説⇒コトバンク「目的論」

 

古代ギリシャ時代から、ソクラテスやアリストテレスなどの哲学者がいろいろ論じてきたようですが、私には上記の表現がわかりやすいです。

簡単に言うと、

「世界で起きる出来事には目的がある。」。

 

つまり、

「人生で私たちが出会う出来事にはすべて目的があり、すべて最善が起きている、」

ということ。

 

これは、感情ではなかなか理解できません。

理解できなくてもいいんです。

そこに、何か幸せになるヒミツが隠れているのなら「取り入れて みようではないか ホトトギス」という気持ちで、「採用」できるかどうか、がカギとなります。

 

目的論とは

『嫌われる勇気』で注目された心理学者のアドラーは以下のように述べています。

『人の生活は、その人の持つ目的によって規定され、その人の思考や感情、意思や夢などは、すべてその人がこれまで持っていた目的に向かって決められ、方向づけられている』

(⇒目的論-アドラーの教えより)

 

スピリチュアル系スクールのドルフィン・スター・テンプルに通っていた時には、「すべては最高であり、最善である。」と、何度も何度も聞かされました。↓

 

その後に学んだプロセスワークでも、「起きていることに意味がある」、と目的論を大切にしています。

 

しかし、初めて聞いた時には、なかなか理解できるものではありませんでした。

そこには、コペルニクス的な「思考の大・転・換 !!」必要です。

 

『嫌われる勇気』の中では、以下のような例が紹介されています。(抜粋ですが、私なりの解釈が入ります。)

《ひきこもりの青年について》

不安だから外に出られない。【原因論】

親に大切に扱ってもらう目的のために、外に出なくするために不安という感情を作り出す。【目的論】

《コーヒーをこぼしたウェイターに怒鳴りつけた青年について》

一張羅の上着を汚されたから、怒って怒鳴りつけた。【原因論】

無抵抗な相手をより安直な手段で屈服させる目的で、大声を出すために怒りの感情を作って、使った。【目的論】

《短所ばかりの自分のことを嫌いな青年について》

短所が多いから、誰も自分のことを好きになってくれない。【原因論】

他者から嫌われ、対人関係の中で傷つかないという目的で、自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない。【目的論】

 

まるで私のことのように、耳が痛い話ばかりです。

耳が痛いということは、感情が反応しています。感情は肉体の反応なので制御できません。

 

心と学びを始めたばかりの頃は、「すべてに意味があり、最善が起きています。」と聞いても感情が反発して、出口のないグルグル思考を作り上げていました。

・今の、この、つらい出来事に意味があり、最善だなんて、絶対に認められない。

・もし私(の魂)の目的のために出来事が起きているのなら、どーせ、私が悪いんだ。

・だったら、私は絶対に幸せになれないんだ。

 

とってもしんどい思考回路です。

だけど心の奥では、私は幸せを感じたいと願っていました。

目の前のつらい出来事に変化を起こしたいと願っていました。

 

 

目的論を取り入れるこ・と・に・す・る

そこで、今の、目の前の出来事に変化を起こすことができるなら、この考え方を取り入れてみようと思ったのです。これは思考です。感情はついていくことはできませんが、思考なら、意識の力を使って違う視点から考えることができます。

 

「起きる出来事には自分の(魂の)目的がある」という考え方は、とっても厳しく感じます。ついつい、「どーせ私が悪いんだ思想」にはまりそうになります。

だけど、もし本当に自分の(魂の)目的があるのだとしたら、目的を意識することで、起きる出来事も変化する可能性を秘めていると思ったのです。かなり打算的であったことは認めます。

 

そして、

「力のない小さな存在から、能動的な力をもった人間として生きられるとしたら、目的論も「アリ」かもしれない。」

そんな思いから、目的論を取り入れたいと思うようになりました。

 

「もし、今、最高最善が起きているのだとしたら、その意味はなんだろう。私にとって、私の魂にとって、どんな目的があるのだろう。」

望まない現実が起きたとき、できるだけそう問いかけるようにしました。

相手の立場に立ってみたり、俯瞰した気持ちで眺めてみたり、いつもと違う視点で意味や目的を考えることは意外と難しく、かなり根気と忍耐を必要としました。

それなのに、目の前で起きる出来事はそうそう変わることはなかったのです。

 

しかしながら、徐々に徐々に、起きる出来事は同じだけど、違う視点で考えると苦しさが少なくなることに気がつくようになりました。

そんな小さな気づきを積み重ねていくうちに、「もしかしたら、私にも幸せになれる可能性があるのかもしれない。」と感じるようになりました。

 

今では、目的論は出来事を変えるためのものではなく、出来事のとらえ方(視点)を変えて、心を楽にするものなんだなぁと、思っております。

今でも、道の途中です。

 

目的論には思考の練習が必要

目的論は今までと違う視点を必要とするので、思考の練習が必要です。ここは、けっこう胆力、粘り強さがいるところだと思っています。ここがシュタイナーの言う思考と肉体を独立させる練習なのかもしれません。

 

 

思考の胆力強化には、いくつかの方法があります。

私が体験したものは、サイモントン療法でのビリーフワーク、バイロン・ケイティのザ・ワークなど。

新しい思考は慣れるまでに時間がかかります。

 

サイモントン療法では、実際に「慣れるまでメモを持ち歩きましょう。」と言われました。最近、2013年当時のビリーフワークのメモが出てきましたが、かなり練習した跡が見られました。

がんばったなぁ・・・、わたし。

 

 

でも、思考の練習だけでは難しい時もある。

目的論には思考の練習が大切だと述べましたが、思考だけが大切だとは思っていません。

思考の練習をしようと思っても、どうしても感情がついていかない時もあります。強い感情が邪魔をして、違う視点を得られない時もあります。

そんなときは、感情を扱うヒプノセラピー、プロセスワーク、ジャニー・メソッドなどの「シャドー」への取り組みの出番です。

 

感情の癒しと、思考の鍛錬

どちらにも、幸せになる力のヒミツが隠れています。

 

 

思考のコペルニクス的転回が必要な目的論を採用するもしないも、私たちは自由です。

もし採用することで幸せを感じられるなら、それも「アリ」なのではないでしょうか。

 

2018.7.6 新宿御苑にて。
プラタナスの枝の皮が剥けている・・・・・。

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プロフィール

飯田 みゆき
飯田 みゆき森と魂のセラピスト
薬剤師・森林インストラクター・メディカルハーブプラクティショナー・ドルフィンスターテンプル認定ヒーラー・日本森林療法協会元理事