「畏敬の気持ち」と「超感覚的世界の認識」

今日は、鹿児島から東京まで陸路で帰ってきました。

お金と時間をかけてさらに疲れるという暴挙でしたが、薩摩から江戸までの日本の大きさを肌で感じることができました。

新幹線の中では、ルドルフ・シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」を読みかえしていました。

前回の図書備忘録⇒「いかにして超感覚的世界を認識するか」を読んで

 

今日は、前回読んだときになんとなく感じていたことを、もう少し整理してみたいと思います。

まず、この本での「超感覚的世界の認識」とは、「感覚的世界を超えた、より高次の諸世界にまで拡がる認識」なのですが、具体的には「それまで世界の一部しか見ていなかったことを悟る」ことであり、オーラが見えたり、過去生が見えたりすることだけではありません。

そのために必要なのが、

①畏敬(いけい:心からおそれ敬うこと)のきもち、と、

②内的生活の開発

 

シュタイナーの言葉は、難しいですね。

まずは、敬う気持ちを自分の中に生み出し、自分の魂を畏敬の感情で満たすことが大切だそうです。

批判や裁きは、魂の中の高次の認識力を失わせる。

誰かを非難するとき、自分で自分の中の高次の認識力を奪っている。

愛をもってその人の長所に心を向けようと努めるとき、認識力は蓄えられる。

 

物質生活が簡素だった時代と違って、現代は(・・・と言っても、シュタイナーも約100年前の人だけど。)、畏敬の感情は自分で自分の中に生み出す努力をしなければいけないそうです。

このことは、勉学ではなく、生活を通してのみ達成される。と。

↑これは、ケン・ウィルバーの「インテグラル・ライフ・プラクティス」と重なるなぁ。

・・・というところで、本日は小難しい話になってしまったので、ここまでにします。

 

②の内的生活の開発は、「瞑想」につながるので、また後日書きたいと思います。

それでは、また。

 

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