大きな存在をサポートする小さな自分考

中学から高校時代、「エロイカより愛をこめて」という漫画が好きでした。

~以下、この漫画を知らない人には何のことかわからないと思いますが、漫画の説明は省略しますのでご了承ください。~

東西冷戦中のヨーロッパが舞台なのに、コメディに徹している世界が好きでした。(NATO情報部が架空の存在だと知ったのは、最近のこと・・・。)

私が大学にいる間にベルリンの壁が崩壊し、マルタ会談により東西冷戦は終結。その後この漫画の続きは描かれなくなり、完結したものだとばかり思っていました。

ところが最近、ネットカフェでこの漫画の続刊を見かけてしまい、一気に20巻から39巻までを読んでしまいました。

そして、湧き上がってくるのは中学から高校時代のせつなかった自分との再会。

私はこの漫画の中の部下A(アー)というマイナーな登場人物が好きだったのですが、それを友人に話したとき、「え~??、なんでそんなのが好きなの??」と言われたことがとてもショックだったことを思い出してしまいました。

「私が好きだと思うことは、ほかの人には共有されない」

そんな信念が芽生えたひとつのエピソードでした。

今回、続刊を読んでみても、やっぱり部下A(アー)君が好きだなぁと、思う自分がいます。

冷戦後の物語では、以前よりも露出度が増え、しかも腹黒さや鬱陶しさが増しているA君。

それでも、私はこの登場人物が気になってしょうがない。これは、きっと私が持っている「何か」が反応しているに違いない。

この「何か」を探るべく、グラウンディングして自分とつながってみました。

 

そして出てきたものは・・・「大きな存在を影ながらサポートしている自分を認めてもらいたい。」という気持ち。

部下A君はエーベルバッハ少佐というヒーローの部下であり、少佐のいい男っぷりを際立たせる役として存在するフツウの人物。物語が進むにつれて、小心者、いい人、腹黒さ、鬱陶しさなど、様々な性質が追加されてきていますが、どれもエーベルバッハ少佐と対極にある性質。

こんなにも小者なのに、何故かエーベルバッハ少佐は彼を一番弟子のように扱ってお仕事している。

A君もこんなにも怖い上司なのに退職することなくそれなりに楽しそうにお仕事に励んでいる(まぁ、漫画なので当たりまえ・・・。)。

こんなに性質の違う二人が長いこと一緒に仕事を続けているということは、物語としては描かれていないけれど、きっと、お互いに相手を信頼できるエピソードが蓄積されているに違いない・・・、と、いち読者は勝手に想像してしまうのでした。

これが、現在の自分と重なって見えてしまうのが、シンパシーを感じる原因だと気づきました。

私にとってのエーベルバッハ少佐的な存在は、数名いらっしゃいます。

怖いわけではないけれど、皆さん、私が持ちえていない大胆さや思考の深さ、エネルギッシュさを持っていて、あっと驚くお仕事ぶりです。

私は時々彼らから頼まれた仕事をソツなくこなす役回り。

地味であればあるほど、何故かエネルギッシュに動いてしまう自分。

だれからも声をかけられなくても、地味な仕事をやりきった自分に満足・・・していたつもりだったけど、やっぱりそんな自分を認めてほしい・・・という気持ちが存在していたようです。

だから、小者なのにエーベルバッハ少佐に信頼されているらしいA君が気になってしょうがない。当初はエキストラのような扱いだった彼が、少佐の秘書みたいになっているのをみると、感慨深いのです。

しかし・・・、である。
A君はおそらくひとり立ちすることはない。

彼の立場はあくまでも秘書か副官、あるいは先任下士官として、今後も物語にアクセントをつけていくのでしょう。

私は、どうするのか・・・。

「Our deepest fear is that we are powerful byond measure.
Your playng small doesn’t serve the world.」

~Marianne Willianson

という言葉が何度も自分の中をめぐっています。

私の中の測り知れない力とつながる恐れとはなんだろう?

今日はここまで。

少佐でも伯爵でもZ(ツェット)君でもなく、A君が好きだったということをこんなブログに書いてしまったことだけでも、私にとっては自分の力とつながる第一歩なのでした。

「どんな腹黒くても、鬱陶しくても、私は君が好きだよ、部下A君」(ちょっと伯爵風~)

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