「気持ち悪い」感覚のその奥へ

最近、「気持ち悪い」とか「苦手」という感覚の奥にあるものは何だろう?と考えています。

昔、森林インストラクターとして親子自然観察会をしていた頃、小学校低学年の子供たちのほとんどは、動かない植物よりも、動くムシ(ミミズやダンゴムシも含めた無脊椎動物一般)が大好きでした。

ところが、小学校高学年になるにつれ、特に女子は、ほとんどがムシが苦手になっていきます。

人によっては、脊椎動物であるカエルや爬虫類、鳥が苦手になる人もいます。

 

大抵の理由は、気持ち悪いからです。

実は私は、ゴキブリもミミズも平気ですが、クモが苦手です。

やっぱり、生理的に気持ち悪く感じます。

何故、ヒトは成長と共に気持ち悪いものが苦手になるのでしょう?

 

今、私が感じている仮説は、自我の発達と共に、異質なもの、自分には理解できないものを「気持ち悪い」という感覚として認識するのではないか、というものです。

まず生物にとって、理解できないことは危険である可能性があります。

自我の発達とともに、世界を思考で理解するようになりますが、その時、理解の範囲を超えてしまったものは危険と判断し、避けるための警報として「気持ち悪い」という感覚を持つようになる。、という仮説は成り立つでしょうか。

 

現代の日本は、とても清潔な環境で生活をすることができます。ムシもミミズもクモも、全く見ずに生活できます。全く出会わければ、彼らがどの程度危険なのか、体感することは難しくなります。

どの程度危険か不明ならば、警報は鳴らしておいた方が安全です。

そんなこんなで、不明なものをどんどん「気持ち悪い」という無意識の箱の中にしまっていくのかもしれません。

 

ゴキブリは、毒針を持たず、噛んで人間を傷つけることもありません。

しかし、現代人の予測をはるかに超えた素早い動きを見せるため、無意識下で危険を感じるのではないでしょうか。

ゴキブリもミミズもクモも、そのものは単なる生物。

ただ、シンプルに生きているだけです。

 

それぞれの生態を学ぶことは、一つの打開策になるように思います。

しかし、「ムシ」への恐怖の奥には、もっと別の恐れが隠されているのではないかと、最近思うのです。

 

クモは基本は肉食ですが、日常で出会うクモが私を襲うわけではありません。

大人になって、クモの生態を学んでもなお、私はクモが苦手です。

そこには、単なるクモという生物への不安だけでなく、クモのイメージに象徴されるモノに、私が勝手に反応している無意識下の「何か」があるような気がします。

 

その奥にある「何か」とは一体何だろう?

今度、どこかでシャドーワークするときは、これやってみようと、秘かに狙っています。

↓知らずに見てしまうと気持ち悪いシダ類の胞子。
心の準備をして覗くと・・・、やっぱり気持ち悪い~。

(ノキシノブの胞子)

 

 

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プロフィール

飯田 みゆき
飯田 みゆき森と魂のセラピスト
薬剤師/公認心理師/産業カウンセラー/プロセスワークプラクティショナー/森林インストラクター/森林セルフケアコーディネーター/メディカルハーブプラクティショナー/ドルフィンスターテンプル認定ヒーラー/日本森林療法協会元理事