インテグラル理論を学ぶ。

今日は、ホリスティック医学協会の「インテグラル理論を学ぶ」の講座でした。

インテグラル理論提唱者であるケン・ウィルバーの

「世界は救済を必要としていない」

という言葉は、去年の夏からずっと気になっていたものです。

 

第一回 インテグラルとは必要不可欠なものの「統合」

「インテグラル」と言えば、高校数学の積分で使ったインテグラル記号。

Sを長くした形のこれ↓です。


wikipedia『積分記号』より

「グラフのここからここまでを、ぜ~んぶ足しちゃうよ」の、記号です。

数学の先生が、「これを使うと、どんな図形の面積も出ちゃうんですよ~!!」と、
嬉しそうに話していたのを記憶しています。

 

日本語では「統合」のイメージがありますが、英和辞書では「不可欠な」とか「完全な」という意味が出てきます。

ウィルバーの言う「インテグラル」は、いろいろなライフスタイルの単なる寄せ集めではなく、必要不可欠なもの、重要なものをしっかり見極めての「統合」

 

だから、インテグラル理論は「全レベル・全象限」の統合なのです。

 

そのためにライフスタイルの要素を4つの領域に分け、その4領域をバランス良く取り入れていきましょう、というのが「インテグラル・ライフ・プラクティス」というもの。

で、その4領域とは、

①body
②mind 思考、感情、情緒など。

③sprit 瞑想、黙想など。
④shadow 無意識の領域

各分野での実践を心がけることで、盲点も少なくなる。すべてを網羅できるものがあるわけではないので、いろいろな実践を試みることが大切だそうです。

 

なるほど~。

それぞれの詳細についての、その後の考察。

ボディへのとりくみ

マインドへのとりくみ

スピリットへのとりくみ

シャドーへのとりくみ

 

もう1つ、大切なのは「人間は、統合的であろうとする本能を有している」という言葉。

ヒトは、自己が持つ多様な側面や要素のすべてを開発、深化させて行こうとする本能がある。

 

これって、プロセスワークで言う「2次プロセス」の考え方に似ている。

 

今までと異なる新たな自分の側面や、生き切っていない自分を、もっと生きたいという欲望。

これも自分、それも自分、あれも自分。

 

いろんな自分を意識化すると、今より、もちょっと豊かで楽しくなりそうです。

そんな自分への深化が健全に発揮されるためには、必要最低限の道しるべが必要で、それが、理論

とっても納得。

 

言葉にすると、今までいろいろ感じてきたことが改めて自分の中に入ってくる。

だから、理論もいいものです。

 

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感想(1件)

 

ウィルバーの厚くて、暑くて、熱い語りを感じることができます。

 

上に上にと向かって伸びる枝。本能。

・・・

 

第二回 数学を学ぼうと思ったらダンスをしよう!

第二回、ボディ・スピリット編でのお気に入りの言葉は、こちら

数学を学ぼうと思ったらダンスをしよう。

 

これは、ケン・ウィルバーではなくシュタイナーの言葉ですが、ボディケアの大切さを短的に表していて、わかりやすいと思いました。

シュタイナー教育では、数学のような抽象的な内容を学ぶために、身体のような具体的なモノとのつながりを大切にするそうです。

ボディの微細な感覚を感じることによって、理解が深まるとのこと。

ケン・ウィルバーも、「身体は知恵を持っている」と言っています。

 

ボディケアでは、意識化、言語化できないレベルで「なんだか、とてもスッキリして気持ち良かった。」という経験することがあります。

グラウンディングのセミナーでは、身体を感じるだけで涙が溢れてきて止まらない体験をしました。

 

高次の自己の意図は自我の理解を超えていることがあるので、言葉にならなくても変容は起きています。

 

 

森林の中で感じる心地よさも同じメカニズム。

 

森林療法・セルフケア体験会では、五感で自然界を味わったあと身体に意識を向けて感じていきます。

そして、その状態で再び自然環境を体験してみます。

 

その時、私たちが感じることが、言語化される前の精妙な変容なのかもしれません。

 

第三回 煩悩上等! 煩悩万歳!!

第三回、シャドー・スピリット編での講師は、相模女子大学の石川勇一先生。

先生は、ミャンマーで仏教の修行をしているそうで、「シャドー/スピリット」について仏教の視点からみるお話でした。

 

私は、仏教はほとんど学んだことがないので、かなり、難しかったです。

釈迦は、悟りを「苦しみが終わった状態」とし、そこにたどり着くための修行を教えているそうです。

その一つが瞑想意識(スピリット・センタードな意識)であり、精妙な意識状態の時には、煩悩が消滅し、喜びに充たされている感覚を得るそうです。

 

なるほど~。アルアル。

瞑想で気持ちよくなって、あれやこれやの悩みがどーでもよくなる時ってありますね。

 

 

どうやら、煩悩≒シャドーという流れでお話は進んでいる様子。

 

そして、

始めは一時的な体験であったものが、繰り返し瞑想をすることで、自分の中に構造化し、定着する。

これが、ウィルバーのいう「レベルアップ」らしい。

 

うん。わかる。

瞑想を続けていると、普段の自分の感覚も変容していく感じ、アルアル。

 

続いて、↓

このとき、レベルアップに相いれなくなったモノがシャドーとして噴出する。

とのこと。へぇ~。

 

そして、シャドーをどう扱うかというお話が省略されて、14個の煩悩の説明へ。↓

人間の煩悩には、主に3つ。

貪(とん) 執着、先入観、自意識過剰などのむさぼり」
瞋(じん) 反感、妬み、自責などの怒り」
痴(ち) 愚かさ、盲目的、などの無知」

これらがなくなると、心が動かない、清らかな心になります。

とのことで、煩悩を見つめる瞑想の説明を聞いてセミナー終わり。

 

ん?

あれ??

あれれれ???

シャドーわぁ~~。

出てきてしまったシャドーはどう扱うのぉ~~~???

 

そこ、一番聞きたかったんだけどぉ~~~!!!

 

 

 

セミナー終了後、私のモヤモヤ大爆発。一緒に参加したお友達に吐き出しまくり。

しかし、今日改めてレジメを見ていると、『シャドーにどう向き合うか』という項目があり、いろいろ書いてありました。

 

うぬぬぬ。

ここ、一番聞きたかったなぁ。

 

 

今現在の本音を言うと、清らかな心を目指して瞑想するのはいいのだけれど、その前に、煩悩を持っている自分も愛したい。と、思うのです。

今まで、煩悩を持っている自分をはっきり認識することで、煩悩が自分と統合されて、より、自分を好きになるという経過をたどってきた気がします。↓

 

清らかな心なんて、くそくらえ!!

 

煩悩は、なくなってもいいけど、なくならなくてもいい。

煩悩万歳。煩悩上等。

 

煩悩とともにある自分と一緒にいます。

大好きだよ、煩悩なワタシ!!!

 

煩悩のない世界といえば、コレ。

単なる原子の並びです。

国立科学館の大きな水晶

 

 

 

 

プロフィール

飯田 みゆき
飯田 みゆき森と魂のセラピスト
薬剤師/公認心理師/産業カウンセラー/プロセスワークプラクティショナー/森林インストラクター/森林セルフケアコーディネーター/メディカルハーブプラクティショナー/ドルフィンスターテンプル認定ヒーラー/日本森林療法協会元理事

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