植物はいつも自分中心

今日は少し趣向を変えて、私が植物に感じていることを書いてみましょう。

私が植物のことを体系的に学んだのは、「森林インストラクター」受験勉強の時でした。

植物の名前を知るということは、識別して認識するということ。

植物を認識するということは、個々の生き方を知ることです。

 

いかにして個体として生き残るか、さらに子孫を残すか。それぞれの種(しゅ)によって、多種多彩な戦略で生きている。

それらを学んで感じたのは、植物は常に自分中心であるということ。

生命として、シンプルに、自分のことだけを考えて生きている。

 

他の生き物に遠慮したり、気を使ったり、思うようにならない相手に怒りをぶつけたりしない。

ほかの植物が先に枝を広げていたら、黙って他の場所に枝を伸ばす。

 

ただ、それだけ。

「譲ってあげたんだから、感謝しなさい。」とか、言わない。(たぶん)

 

あるものはツル生となり、他者を利用して太陽の光を取りに行く。

あるものは一年草となり、個体の寿命よりも種(しゅ)としての存続を意図する。

 

敵であった昆虫も利用して花粉を運ばせ、哺乳類や鳥類も利用して種(たね)を運ばせる。

 

とても自由で、多様性があり、ある意味なんでもありの世界。

笑っちゃうくらい、自由奔放な植物の世界。自分のことしか考えていない。

 

それでも、生態系はバランスを保ち、持続可能な有機体として存在している。

私はそんな植物が大好き。生き物が息づく森が好き。

 

私にとっての植物は、争いをせずに黙って酸素を作っている平和な存在ではない。

場合によっては、他の植物の成長を阻害する物質も作っていたりするからね。

 

自分勝手で、気ままで、自分のことしか考えていなくて。

酸素だって、光合成したらできちゃった副産物。動物のために作っているんじゃない。

(酸素はちょー毒物で、一時期 地球上の生命が絶滅の危機だったらしいじゃん。)

 

そして、植物自身も、しっかり酸素を使っている。

それぞれが自分のために生きつつも、バランスのとれた世界。

 

だから、私たちはなんだか植物が好きなんだと思う。

私たちも、一人一人が本気で自分自身のために生きたら、バランスのとれた世界になるんじゃないかな。

そんなことを、植物を観察しながら日々感じます。

 

まだまだ新しい発見がいっぱいです。

【注】以上の話は、あくまでも、私の個人的な感覚です。私は植物と会話ができるわけではないので、本当はとってもやさしい言葉を語っていたら、ごめんなさいです。

 

その昔、裏磐梯で撮影したヤドリギ。

しれっと寄生する、こういう生き方もアリだよね~。

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プロフィール

飯田 みゆき
飯田 みゆき森と魂のセラピスト
薬剤師/公認心理師/産業カウンセラー/プロセスワークプラクティショナー/森林インストラクター/森林セルフケアコーディネーター/メディカルハーブプラクティショナー/ドルフィンスターテンプル認定ヒーラー/日本森林療法協会元理事